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経営者の想い

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「私はアジである」

「私はアジである」ということを考えてみた。

私は海岸沿いの海底近くを住処として、夜になると湧き上がってくる小エビなどを食べて暮らしている。
両親のことは知らない。
兄弟というのはどういうものか分からない。
ただ群れがある。それだけだ。
仲間でもない。
ヒラメやブリに追われるとやたらと焦る。
群れの誰かが食われても別段気にしない。
恋人が食われそうになったのを見た時も私はただ逃げた。
その後恋人がどうなったかは知らない。
ヒラメか何かに食われて自分がこの世からいなくなるということは… 考えたこともない。

「私は人である」ということを考えてみた。

両親や兄弟、恋人がいる、仲間もたくさんいる。
恋人が窮地だと分かれば月までだって助けに行ける。
そして、自分の終わりを意識しながら生きている。

野生の馬が冷たい雨の中、寒さに震えながら移動してゆくドキュメンタリーを見たことがある。
その時ふと思ったことは「なぜ馬は傘をささないのだろうか」と。
そういえば、チンパンジーやオランウータンだって傘をささない。

人は傘をさす。
傘を作ることができて、他の人や生き物に傘を手向けることができる。
しかし傘を作る同じ技で槍を作ることもできる。

「アジである」ことと「人である」ことの一番大きな違いは、人は「自分はアジである」という仮定について考えることができることだと思う。

Photo:石垣島にて友人まんねんと

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