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量子技術は意識をとらえるか?

私のようなアマチュアサイエンスおたくにとっての2019年の最大のニュースは、グーグルが作った量子コンピューターに関する論文発表についてではないだろうか。そのコンピューターは、既存のスーパーコンピューターが解くのに1万年かかる問題をたった200秒で解いてしまうという。従来のコンピューターは半導体を用いて電気信号をオンかオフかの状態にして情報を蓄えたり計算したりするのに対し、量子コンピューターは量子ピットを用いることで0と1の重ね合わせの状態で同時並行で膨大な計算を行うことが可能だという。重ね合わせとは、本来0か1でしかないはずのものが、球面上のすべての点に同時に存在することができることを意味する。対して既存の半導体ビットは北極点と南極点のどちらかにしか存在できないということになる。例えば、「19は素数か?」という設問に対し、既存コンピューターはまず、2で割れるか試して、だめなら次は3、5、7、11、13、17で割ってみて、結果割れるものがなかったので「19は素数である」という回答を出す。合計7ステップの計算をしたことになるが、量子コンピューターは1ステップで答えを出すことができる。この重ね合わせ状態は、少し覗き見ると壊れてしまって北極か南極に収束してしまうので、扱いが厄介だ。言ってみれば、鶴の恩返しの機織りを覗き見た瞬間、鶴は飛び去ってしまうみたいなものだ。だから飛び去ってしまわないように、旗が織り終わるのを待って、いったい何が出来たのかそっと慎重に覗き見て、念願の錦織ではなく計算結果を得ることができるという、いかにもドキドキの技術だ。一時期は実現不可能かと言われていた量子コンピューターだが、こんなにも早く実現したことは筆舌しがたい。現在はまだその量子ビットの数は53個ほどだか、半導体の集積率で言われていたムーアの法則(18ヶ月で2倍)に従うことになれば、来年は100を超え、また近い将来1万を超えていくことになるだろう。
 さて、電気的な信号ではなく量子的なプロセスとはそんなに珍しいものなのだろうか? 例えば、ほぼすべての植物が行う光合成は、葉緑素中の集光たんぱく質中において量子的な重ね合わせ状態を取ることで、エネルギーを生み出していることがわかっている。渡り鳥が地磁気を感知して体内コンパスを発生させるプロセスも量子力学的プロセスであると言われている。生物界が進化するにおいて、便利なものや有利なものはなんでも手当たり次第使ってきた歴史を鑑みるに(例えば熱水噴出孔から吹き出る硫化水素を食べて育つバクテリアを口の周りに住まわせて、それを食べて生きる白いカニなど)生活や進化のために、この量子力学的プロセスを大いに利用している可能性が高い。例えば脳の生理作用はどうだろうか? 脳波などの電気信号を用いて脳の活動電位を測り脳の活動をモニタリング出来ることからわかるように、電気信号を用いてニューロンネットワークを制御しているのは明らかだ。一方でその脳の活動中に量子力学的プロセスは皆無なのか? 例えば、結婚式の主賓挨拶のスピーチで頭が真っ白になり"しどろもどろ"になる時と、すらすらと立板に水が流れるごとく自分でも褒めれるスピーチが出来る時とどう違うのか? あるいは、サッカーでファンタジスタと言われる選手が、みんなが驚くようなスーパープレイをしたあとのインタビューで「プレーに集中していてゾーン入っていたから出来た」というのはどう言う意味か? 思ってもいなかった商品のアイデアが突然降って湧くかのように出てくるときの感覚はなんなのか? これらの事象は、これは私の推察だが、さまざまな選択肢の中から最適解を同時並行的に瞬時に導き出す量子力学的重ね合わせのプロセスが働いているにちがいないと思えてならない。しかもそれはノイズ(気が散る)にめっぽう弱い。私は、もう何年も前から短時間ながら朝瞑想をする。その感覚は脳の中が空っぽであるにも関わらず、ボーアの発見した電子軌道の雲をみつめているような感覚だ。まさしく量子の像である。瞑想も量子力学的プロセスかもしれない。会社の会議で重要な決定をしなければならない時、あまり何も考えずに最適解とおぼしき結論めいたことを口走ることがある。口走った後、その解に対する論理性や合理性を後付けで説明する。これが間違っていることもたまにはあるが、だいたい正解である場合が多い。また、このような小難しいことばかりでなく、ふいに出てくる鼻歌や、無意味なダジャレも、因果関係の働かない量子力学的プロセス(かなりリラックスした状態)によって飛び出したものに近い感がある。私が考えるに、人の脳は、ニューロンネットワークにあるシンボリックな記憶の表象同士をネットワーク間の接続の強弱を用いて行う論理性の照合や記憶の整理などは電気信号を用いて行い、ぱっと浮かぶ、アイデアや思考過程は量子力学的プロセスによって生み出されているのではないかと考える。それらは明確に分離出来なくて、融合しながら働いている気がしてならない。因数分解の解を得るのに、2から1つずつ割っていく人はあまりいない。過去の記憶や知識を総動員して、答えを感じて、それが合っているのか間違っているか照合する作業が、人がやる因数分解の計算であると思う。

 チェスや囲碁の世界王者を打ち負かせた現代コンピューターにはAIという自己深層学習する新技術が用いられている。これは人の脳で見られるニューロンネットワークを模倣したものだ。AIコンピューターはすでにいろんな分野で使われ始めている。車の自動運転技術や信号機の制御、医療診断技術、翻訳、監視カメラを通じた監視、ロボット制御などさまざまだ。さて、先日誕生したばかりの量子コンピユーターはこれからどんどん量子ビット数を増やしながら進化していって、近い将来、AIを乗せた最高峰のスーパーコンピューターとタッグを組むことになるだろう。いわいる量子コンピューターとスパコンの融合したハイブリッドコンピューターの誕生だ。恐らく、ノーベル賞の受賞者の大半は、ハイブリッドコンピューターの所有者か使い手だろう。地球温暖化対策に関する最も低コストで最も効果的な方法もこのコンピューターが見つけるに違いない。そうすればノーベル平和賞と化学賞の同時受賞も夢ではない。

 小学校の頃、先生に「宇宙の果てはどうなっているの?」と聞いたことがある。先生は「それはまだわかってないんだ」と言った。それを聞いて私は、「世の中にわかっていないことがあるんだ」と驚いた。その後、この世の中のことはわかっていない事の方が多いと知り、私は「今まで生きてきた大勢の人たちは一体何をやっていたのか」と憤りを覚えた。しかし今思えば、2300年ほど前にアリストテレスが唱えた因果律に端を発し、紆余曲折を経て、イギリスで起こった産業革命というエポックメークをきっかけとして、この因果律を源流に持つ自然科学の隆盛が起こった。それは言ってみればつい最近のことだ。そして現在、そして近い将来、この量子コンピューターとスパコンのハイブリッドを見ることになる。それは次なる新世代のエポックメーキングとなるだろう。そして今後この世の中は不明なことがどんどん減ってゆき、遂には不明なものが無くなってしまうかもしれない。
 スパコンを含め、現代稼働している既存コンピューターは、チューリングが提唱したアルゴリズムを用いて構成されている。アルゴリズムは数学的手順のことだ。なので古典的コンピューター(すなわち現在稼働しているほとんどのコンピュータ)はチューリングマシンと呼ばれる。仮に如何様にも拡張可能なチューリングマシンがあったとして、それを用いれば、どんな問題でも(時間がかかっても)解けてしまうのではないかと考えた人がいる。しかしその挙句、その人は逆に、そのマシンでは解けない問題が存在することを証明してしまった。それは、ゲーテルの不完全性定理と呼ばれる。その証明は非常に複雑で難解なものなので、私も完全に理解することは難しい。ただ、雰囲気だけは伝えることができる。それは、簡単に言えば、その数式の中に自分自身が入り込んでしまっているものは証明不能だというものだ。例えばこうだ、「広い宇宙において、我々の他に生命体はどのくらいの確率で存在するか」という問いに対して計算してみたとする。まず、我々が暮らす地球が属する天の川銀河には1000億個の恒星がある。そして今のところ生命体はわれわれの地球でしか観測されていない。従って式は 1/1000億になる。そしてさらにこの宇宙には天の川銀河のような銀河が1000億個以上存在する。そうすると式はこうなる。1×1000億/1000億 すなわち答えは1となり、生命体は100%存在することになる。しかし、この計算には間違いが存在する。計算式の中に自分自身のことを入れ込んでしまっているから起こった間違いだ。この式で証明できたことといえば、「ここにいる生命体はここに存在している」としかいえないと言うことがわかるだろうか。展開して言ったはずの数式が実はぐるっと回って自分に返ってきた感じだ。そんなことは他にもある。例えば「愛の歌」という歌を作ったとしよう。歌詞はこうだ。「愛している。愛している。君のことを思う時、私は歌う「愛の歌」君に捧げよう」どうだろうか。これも「愛の歌」の中に「愛の歌」が入り込んでしまっているため、一体「愛の歌」なるものはどれを指すものなのか、ものすごく変な感じがするのは私だけだろうか。このようなジレンマはよく経験することではないだろうか。そうした理論展開を経て、ゲーテルは不完全性定理として数学的に証明不能な問題が存在することを示した。万能と思われたチューリングマシンにも解けない問題があるということだ。

自分の回りの360度をサーチライトで照らし、全ての物理現象を如何様にでも拡張可能なチューリングマシンを使って調べ上げ、いずれはすべての不明な物理現象を解明することは可能かもしれない。しかし、ゲーテルが言うように、その解明の理論体系の中に自分自身を含めてはいけない。それは、まさに、スコープを覗き込んでいる眼球の奥にいる自分自身。物質的な自分ではなく、意識を持つ自分のことかもしれない。 ゲーテルに従えば、それは証明不能であると言わざるを得ないのだが、真実はボーアの雲の中だ。意識に関する学術的考察については、多くの学者がいろんな意見を述べている。その多くが、「人は自分には意識はあると勘違いしているが実際は意識など存在しない」という意見を展開している。それは、私にとっても、そして多くの人にとっても信じ難いし、腹立たしいし、実感と全く相容れないものである。著名な物理学者であるペンローズは、意識とは脳のニューロン細胞の中にある微細管といわれる場所に量子的存在として存在していると量子脳理論として提唱している。しかし現在ではほぼ否定されていると言っていい。

チューリングのアルゴリズムによって開発されてきたコンピューターを使って、意識を記述することは難しいことはわかったが、それでは未来の量子コンピーターとの融合で完成するハイブリッドコンピューターならどうだろうか? それは、前述のように人間の脳と全く同じようなアルゴリズム、すなわちニューロンネットワークと量子的重ね合わせプロセスを含むハイブリッドによって構成されている。それによって意識の存在を自然科学の理論体系で記述することは可能となるのか。ひとつ気になることは、量子の重ね合わせは、先にも述べたことでもあるが、球体の中心から球面上の点に向けて指し示すベクトルで表すことができる。それは驚異的な自由度を持つことを意味する。しかし、仮に意識が球体の表面ではなく、その中心に存在しているとなると、意識解明に近づくことは難しいかもしれない。それは全く分からないし思わぬ結果をもたらすかもしれない。それは未知の世界であり、超絶技術がいかに人にとってどんな存在になるのかも含め、今から緊張を禁じ得ないのは私だけではないと思う。そしてそれはいずれ人の意識を捉えることになるのか。

人の意識と同様、人の手では解明ができないであろうと言われている「時間」について
いずれ機会があれば邪推してみたい。

追伸  12月のある日、私は四日市の埠頭ですぐ目の前を泳ぐスナメリをみた。あまりの感動で息を飲み、写真に収めることはできなかったが、確実にスナメリだった。小魚を追って浮き沈みを繰り返していた。浮き上がる瞬間に、口に加えているであろう小魚を横取りしようとカモメや海鳥が突っ込んでゆく様を延々と眺めていた。
その時撮った海鳥(海鳥だと思う)の写真をせめて載せます。

伊勢湾は、昨年、ワタリガニが大量に取れた。例年の5倍というからすごい量だ。私も、飲み屋で1匹頂いた。味が濃くて絶品であった。
多く取れた主因は、昨年は雨が多く、湾内の貧酸素な水が外洋に押し出され、その分新鮮で酸素を大量に含んだ黒潮が伊勢湾に流れ込んだためといわれている。それなら温暖化による異常気象のせいでワタリガニが増えたことになってしまうが、魚介類にとっての住環境が改善してきているからでもあって欲しい。
今年も伊勢湾をワッチしていきます。

海鳥の写真

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