ニュートリーの製品に込められた経営者の想い

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食品だから出来ること Part.2

父が亡くなり私が社長となった時、
社員は母一人とパートさん5人だった。
20年前のこと、私は28歳だった。

アイデアマンであった父は、
流動食の「アイオール」を発売した後も、様々な商品を発売した。

薬局店向けドリンク剤の赤まむしドリンクやゴールデンファイター。
イタリアからドラム缶で輸入したオリーブオイルを小さなプラスチックボトルに
詰めただけのサンオイル、サニー(母はこれを大量に車に詰め込み
日本中の海水浴場に売りに歩いた。暑いさなか乳幼児の私を乗せて・・・)。

何種類かのおかずも一緒に入ったトレー型レトルトごはんは
非常食として(商品名が思いだせない。一回目の出荷の後、返品が相次いだ)。

注射剤用のアンプルに入ったドリンクタイプの風邪薬(このアイデアは
今でもすごいと思う。きちっと作っていたら大ヒット商品になっていたかもしれない)。

卵入りのカルピスのようなものは
さすがに飲めたものではなかったし発売された形跡はない
(何種類もの試作品を試食させられたが、口に入れた瞬間の悲鳴しか覚えていない)。

私が覚えている範囲でもまだまだ他にいっぱいある。

どれも発売当初は目新しさも手伝ってどっと売れるのだが、
詰めの甘さからすぐに返品の山となった。
その度に母の喜ぶ顔と悲しむ顔を交互に見てきた。
そこに私は「失敗の法則」を見た気がする。

「可能性の追求が人生の醍醐味だ」と父は私に言った。
しかし、一握りの成功の裏には多くの協力者がいる。
だから成功を目指すには沢山の協力者が必要だ。
それに多くの資金も要る。
失敗の責任を自分一人で取れるなら何度でも可能性を追求してもいいだろう。
しかし度重なる失敗は多くの損失を、善意ある協力者にまき散らすことになる。
それはただの「欲」でしかない。と知った。

そして最後に残ったのは「アイオール」などの流動食だけだった。

父とは3年間しか一緒に働いていなかったが、いつもぶつかっていた。
毎日のように灰皿や、ぐい飲みが飛んできた。
最後の半年、父は病院にいた。
でも父にとって唯一の息子である私が可愛くて仕方なかったに違いない。
自分のやりかけた仕事の後を継いでくれた奇特な息子を見つめながら逝った
父の目がそう語っていた。

そして父が亡くなり私が社長になったのは20年前のこと、28歳の時であった。

粉末状の「アイオール」は、パートさんが手作業で分包していた。
発売当時画期的であったその製品も20年以上の年月を経て、すでに色あせていた。
他社は常に技術革新し、液状の製品を世に出していて、
粉末状の製品などもう殆どなくなっていた。

そんな状況でも、父がいなくなった悲しみと同時に私は希望で燃えていた。
自分の思うように製品開発をやってみよう。
解き放たれたハトのように自分を表現してみたいという衝動に駆られた。

製品には必ずその開発者の思いが乗るはずだ。
どんな思いを人に届けようか?
薬ではなく食品だからできることがあるはずだ。
その食品は人の口から入り、
消化管に入り、善くも悪くも様々な作用を人体に与える。
その製品に、自分の思い、慈しみ、憤り、を込めて。
そして、決して人を傷つけることのないように。
忘れてはいけないのは「失敗の法則」。肝に銘じて!

To be continued……

ニュートリー株式会社 代表取締役社長 川口晋 〈文〉

仲條順一 〈イラスト〉

2012年1月

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